nasakoの毎日どっこらしょ

期間限定ドイツ在住中。美しい日々を生存確認的に文字起こし。

春が美しすぎるから、全部春のせい

 雨が続くなあと思っていたら急にお天気がよくなって、ドイツにもすっかり春が訪れています。花が咲き誇っていて、午前中晴れて美しい天気だと思ったら昼頃から曇り初めて夕方雨が降りがち、という私にとっては2度目の、ドイツでの春。

 

 夕方、西の空から沈むにはもう少しだけ早い太陽が、東の空に重く立ち込める雲を照らしていると雨が降って虹が見られるチャンス。どんよりした雨雲が沈む前に力強く光る太陽に照らされるその瞬間はまるで、家の窓が絵画にでもなったように美しいです。

 

 数十分後にはさぁーっと雨が降り出し、少し強く振ったらだんだん小雨に。そのあたりから虹色の橋が現れ、ずっと追いかけて見ているはずなのに気づくと大きな半円を描いています。

 

 雨好きな私は雨が止んでくれるな〜と思いながら見ていますが、そううっとりしている間に雨は止み、太陽は沈み、虹は消え、外はまだ明るいのに室内はうっすらと暗くなり、東の空には夜が迫っていることに気づくのです。あの時間はなんだかタイムスリップしたような、夢の中にでもいたような、狐にでもつままれたような、そんな気分になります。「あ、ごはんしなきゃ」「あれ、何時だろう」と日常に引き戻される瞬間。


 ずっと夢の中にいたい、美しい景色と陽気の中でぼんやりしていたい。

 

 そんな気持ちを誘う春だから、精神を病みやすかったり現実とのバランスを取りにくくなるのかもしれません。最近無気力症候群なんだと人に相談したら、「春だからね」と返ってきました。なんてあっさりした返答なんだと思ってしまったけど、パートナーとぎくしゃくしていることもイライラすることも絶賛ネガティブキャンペーン中で涙が出ることもな〜んにも気が乗らないことも誰にも会いたくないことも、全部ぜんぶ春のせいにできる方が楽かもしれないと思ったりするここ数日でした。

 

ドイツ語は挫折したまま英語のオンラインレッスンってどいうことだよ

 先月から英語のオンライン授業を受けています。ドイツ語は挫折したまま英語のオンライン授業をとっているなんてどういうことだよと自分でも思うけれど、これが思いがけずドイツ語にも良い影響を及ぼしているようなので覚え書きに。

 

 まず英語の授業についてですが、オンラインなので先生も生徒も各国から参加していて、発音にもそれぞれ特徴があります。ヨーロッパ圏の先生はイントネーションがイギリスぽくてちょっと慣れないし、アメリカ圏の先生はアメリカ〜て感じの話し方で聞き取り安いけど速い(笑)参加者に至っては特に韓国の方だとイントネーションが日本と似てる感じがするので変に聞き取れて、インドやアフリカ圏になるとなぜか聞き取れません。ですが先生はちゃんと聞き取っているので、私の耳と頭の問題なんでしょう。

 

 予習しても復習してもなかなか追いつかなくて、私が話す番になると死ぬほど出てくる「あー」「うー」「んー」もしっかり待ってくれて、「よくやった!」「わかるよ」「いいね!」と相槌を打ってくれるのがナチュラルに嬉しいです。アメリカや英語圏の人々にとったら日常的な相槌で大した意味はないのかもしれないけれど、単純に日本語に訳す私は嬉しくなるのです(笑)

 

 そしてこうやって小さな嬉しいを積み重ねて少しずつ自信になったのと、私が聞き取れない他のイントネーションの人たちが先生とコミュニケーションを取っているのを見ていると、「話し方なんてどうでもいいのでは」と思えてくるのがなによりの収穫です。

 

 私は英語もドイツ語もできれば綺麗に喋りたくて、それは日本語でもそうなんですが、その気持ちが第二言語を学ぶ上でのストッパーや上達へのハードルになっている気がします。

 

 そもそもなぜそんな言葉にコンプレックスを持つようになったのか。それは私が初めて地元を出た時に遡ります。

 

 高校を卒業して、念願だった家を出ることになりました。入ったのは寮でしたが、親の管理を離れて自分一人で生活することにワクワクしていました。瀬戸内海に面した街に住む私が出たのは同じ地域の日本海側でしたが、そこで「話し方が怖い」と言われたのです。

何気なく話していた言葉が実は方言で(しかもガラの悪い地域でw)、それが他の人間に威圧感を与えたり自分の間違った印象を持たれることになるとは思ってもいなかったので衝撃でした。なんなら幼き頃の夢はアナウンサーで、ニュースのアナウンサーの真似をしていたので自分は正しい日本語を喋れていると思っていたから余計に。

 

それからはできるだけ方言を封印して、標準語とか正しい日本語とか、はたまた人を傷つけない言葉を選ぶとか、なんかこう「正しく言葉を使わないと」と思ってきた気がします。(それで100%正しい言葉を使えているとは思ってないですし、意図せず人を傷つけてしまうこともあるのですが・・)

 

 

 母国語である日本語を「正しく使おうとすること」は結構なんなくできる(はず、というかそう願いたい)なんですが、第二言語以降はなかなかそうはいきません。言葉はスポーツとはよく言ったもので、失敗しながら練習して上手くなっていくとみんな言ってきます。ただ私にとっては「その失敗をコミュニケーションの中でしていかなくてはならないこと」のハードルがめちゃくちゃに高かったんです。

 

もともと変にプライドの高い私は陰で練習するタイプ。勉強だろうと部活だろうとスポーツだろうと、1人で練習する方が好きですし努力を人に見られるのは恥ずかしい人間です。盛大に失敗するくらいならアホの真似をしている方がマシです。それでも失敗をすることの方が多いですが、たとえ失敗してもそれは練習で、誰にも迷惑はかけません。そもそも真剣にやっている以上それ自体が私自身の人間性や私の周りの人間関係にマイナスに関わってくることはないと思っていました。

 

 

 でも言語は違います。言葉を間違えれば私という人間が間違って伝わることもありますし、そうしてコミュニケーションが失敗したり亀裂が生じれば人間関係が崩れてしまうかもしれません。コミュニケーションにおける言葉の重要度が自分自身の中で大きすぎる私にとってそれはとても恐ろしいことで、避けたいことでした。もちろん過去の経験からコミュニケーションは言葉だけじゃないと頭でも経験でもわかっていますが、相手や物事を深く知ろうと思う時に言葉は欠かせません。失敗や間違いを弁明しようにも言葉が必要で・・

 

なんてぐだぐだ考えてだらだら書いていますが、とにかく

「間違えたくない、言葉もコミュニケーションも」

これに尽きます。

とどのつまり「自分がどう思われるか」が大事なダサい人間なんです。

 

 オンライン授業を受けながらこんなことを考えて、そういえば英語やドイツ語にかかわらず日本語でも自分が主となって話すのは苦手だな、と忘れていた事実に改めて気づきました。聞き役に徹しがち、質問は無駄に上手で、3人以上になるとほぼ無言です(笑)

 

 でも授業を受けていろんな人が第二言語として言葉を学んでいる姿を見ていると「正しいのは大事だけどあんまり気にせず話してもいいんじゃないか」と思えてくるのです、きっと勇気をもらえるのかも。だって私も含めてみんな間違えるし先生に訂正されるしでもそうやってがんばってる仲間たちが世界中にいるんです。英語学習を通して小さい自信と勇気と、そして少しずつですが語彙を獲得しています。

 

 ドイツ語は再開していませんが、知っている単語だけでも伝わることはある!とドイツ語に対してもポジティブな気持ちになれているので、この調子でドイツ語の勉強も復活させます!

 

・・きっと。

 

 

 

海を求めてリューベックへ 辿り着く編

 海が見たくてリューベックへ向かったので、中心である駅は通り過ぎて終点まで。どんよりした空が広がっているのは残念だけど、曇り空でも小雨が降っていてもいろんな駅で降りて行ったり乗ってきたりする人々。そんな人たちに「みんなどこに行くのかな〜私は海を見に行くよ〜」と窓越しに心の中で声をかけ、そんな理由でふらりと身軽に行ける自分と誰かが動かしてくれている列車、そして平和な世界にふと気づき贅沢だなと思ったりする。

 

 

 終点は本当に終点で、その駅より先に列車が行かないという意味ではなく、線路がここで終わっている。先の線路がない駅にはいくつも出会ったことがあるけれど、京都の嵐山線を思い出させる親近感のある駅だった。駅を出ると遠くに見える灰色の景色。曇っているから海も灰色だけど、海だ・・・!!

 

 私は文系だけれど、なぜ海が青いのか小さい頃から全然理解できなかった。「空が青いから青いんだよ」と理系の友人に言われてなんてロマンチックなんだと思った直後に「曇りの日はグレーでしょ」と言われてにわかには信じられなかった。「え?そうだっけ?」キラキラ青く光る海しか記憶になくて、でも確かに曇りの日に海を見たら青色じゃなくて、自分の脳みその都合の良さに目が眩んだ。

 

 人生で初めて臨むバルト海は薄い曇り色で、開けた視界の先にはデンマークが見えるはずなのに(天気が良くても見えないのかもしれないけど、笑)全部グレーだった。風が強いにも関わらず波は瀬戸内海よりも穏やかで、もはや琵琶湖や宍道湖よりも穏やかなんじゃないか、本当に海なのか疑ったけれど、ちゃんとしょっぱかった。海の定義って塩分濃度以外にあるのかな。

 

 街まで戻る列車は1時間後なのでそれまで散策。寒くても海辺を歩くって気持ちいいな、小さくても波の音は落ち着くし、貝殻もムール貝の殻が多くて「ここは日本じゃないんだ」と思う。ところどころに桟橋があって、先まで行けるのかと思ったら3分の1程度しかなくて、その先は枠組みだけ。飛び込み禁止のマークがあるけれど夏には先まで歩けるんだろうか、カモメたちが自慢するように唄っている。

 

 歩いていると干潟のようになっているところがあって今は干潮なんだろうなと推測する。真っ白な羽を閉じてカモメが海を眺めていたので、近づこうと思ったら水に足を突っ込んでしまった。水はないと思ったのに・・カモメは呆れ顔で横目で私を見ていた。

 

 時間が近づいてきたので、今度は海辺の別荘と思われる立派な建物やホテルが並ぶ通りを歩いて駅に戻り列車に乗り込む。冬は少し寂しげだけど、夏はどんなにか賑わうんだろうな。さようなら海の街。これからリューベックを散策してくるよ。日本に帰るまでには夏に訪れてみたいな。

 

 

 

 30分かけてリューベックの街中まで戻る。事前情報では教会などを含めて7つの塔がある街だということで、7つを見るだけでも制覇したい!と目標を立てる。電車の中から街を見るとひと際高い建物が確かに7つ、どこかで上から眺められたらいいなと思うけど、なくてもすぐに見つかりそうだし中心部はそんなに大きくないし、なんなら地図見なくても行けそうだなと安易に散策を開始。

 

 いざ街中に入り込むと巨大な迷路に迷い込んだみたいにさっき見えてた塔がひとつも見えなくて、少し不安になる。天気の悪さもその不安を助長している気がする。一つ目の塔をやっと見つけても他の塔にたどり着けるのか心配になり、寒いしもうやだなと思っているとふと「お腹が空いているんだ」と気づく。そうだったそうだった、ランチはちょっと贅沢して食べたいものを食べよう、海の近くだからシーフードにしようって思ってたじゃん。気分はパスタ、海鮮のパスタがいいな。気づくと途端に空腹に拍車がかかるのはいつも不思議だ。

 

 近くのパスタを検索してまだやっているお店に入る。店先でグレーヘアのおじさんが煙草を吸っていて、シェフが店を閉めたのかと思ってもう終わりかと聞くとさあ?とジェスチャーした後にどうぞと通してくれる。お客さんだったのかなと思いつつ中に入ると女性の店員さんが奥でテーブルを拭いていた手を止めてくれる。キッチン前の通路脇の席を指差し座ってもいい?とジェスチャーで聞くとお好きにどうぞとジェスチャーされる。席に座ると一気に力が抜けた。あったかい。ありがたい。

 

 エビのパスタを白ワインを注文。白ワインだけが先に来て、ちびちび飲みながらパスタを待つ。お昼時はまずまず過ぎているけど私と同じくらいのタイミングで注文しているお客さんもいて、1人しかいないシェフは忙しそう。前後の席に料理が提供されたあと、シェフが「あの人は注文してるの?」と聞いていて「エビのパスタだよ、ちゃんと言ったよ」「あ、そうか」と話しているのが聞こえる。どうやら忘れられていたみたいだけど、居心地いいしいくらでも待つよ。

 

 雨風を凌げるあたたかい場所で料理を待っていられることのなんたる幸せ。先進国にいるとあたりまえのように感じてしまうけれど、「安全であること」は人生でかなり重要な条件だと思う。幸せなことだな。

 

 パスタを運んできてくれたのは外でタバコを吸っていたおじさんで、ここの店員さんだったみたい。チーズをかけると美味しいよ、辛いのが好きだったらどうぞと唐辛子を持ってきてくれて、ウィンクまでしてくれた。イタリア人っぽいな〜!?イタリア行ったことないけど!笑

 

 運ばれてきたエビのパスタは思っていた以上のボリュームだったけれど本当に本当に美味しくて、お腹いっぱいになってもまだ食べていたかった。別に特別なことがあったわけじゃないんだけど穏やかであたたかくておいしいものをくれる空間が本当にありがたくて幸せで、終始にやにやしていたと思う。最後は「本当においしかったですありがとう」をつたないドイツ語で伝えてお店を後に。やっぱり風は強いし雨は続いていたけど、幸せとエネルギーが体の中に満ち足りていた。満足ってこういうことかあ。

 

 結局地図を見ながら塔をまわったけど、「あれ?これ最初に見た塔か、ん?いま何個見てどれがどこだ?」ってなったりしてぐだぐだに終わってしまった。でも別に目的のある旅じゃないし、こういうことがあるから旅はおもしろい。感じれたことはたくさんあったし、楽しかった。ありがとう、リューベック。またね。

 

 

 電車でハンブルクに戻る間に疲れがむくむくと身体を支配して、駅に着いた頃には1人なのに「疲れた」と何度も口に出していた。もうすぐにでも寝たい、寝たら明日は自分の住む街に帰る日だ。さっきのパスタがまだまだ胃を膨らませていて、お腹はそんなに空いてないけど眠れないと困るからりんご1個くらい買って帰ろう、食べれなかったら明日食べたらいいや。そんな気持ちでスーパーに寄ったのに、気づいたらおそらく2kgくらいあるであろうバナナを買っていた時には「脳がバグるってこういうことか」と戸惑った。明日帰るのに、BIOのバナナが1ユーロという破格がバグを助長した。

 

 ほんとうに、こういうことがあるから旅はおもしろい。帰ってからと朝と、3本ずつくらい食べたけどまだまだ残ったバナナ、ちゃんと家に持って帰って食べました。

 

 今日もドイツを楽しみました◎

 

 

海を求めてハンブルクからリューベックへ 辿り着かない編

 ブレーメンのお次はハンブルクで短い夜を過ごします。ドイツにきてもうすぐ1年が経とうとしており、ハンブルクには何度か来ています。北ドイツの代表ハンブルク、広い川が迷路のように流れており港があり船があり、お魚が豊富で、巨大で立派なレンガ街はまさに「西ドイツ!」「港町!!」感満載です。ですが海はどこ・・・?

 そして行くといつも天気が悪いハンブルク、冬は特に日照時間も短く、鬱になりやすいことで有名な街なんだそうです。

 

 

 でもとにかく、海が見たい!!!

 

 ということで行ってきました、ハンブルクから電車で1時間の街、リューベック。まずは海を見にリューベックの街中からさらに電車で30分ほどかけて港町へ向かいます。ドイツに初めて降り立った駅がハンブルク中央駅なのですが、「・・でっっっか!!」と驚いたのを覚えています。その時と全く同じルートで駅に到着してやっぱり思う「・・でっっっか!!」そして毎回なぜかハリーポッターの9と4分の3番線という言葉が脳裏をかすめます。似てはないんだけど不思議。私の語彙力の問題かな(笑)

 ハンブルクからは乗り換えなしで1時間半の電車の旅、乗る前に軽く腹ごしらえをと思いましたがクロワッサン1個ですら2ユーロ(320円)する世界。貧乏性の私にはどれも高く感じてしまい、結局スーパーEDEKAへ。

 

 Fritz-kola飲んだことないし飲んでみたいな〜でも瓶飲料は栓抜きがいるんだよな〜と思い見ているとFritz-kolaはスクリュー栓ではないですか!でも500mlも飲み切れるかな〜と思ったら小瓶があるではないですか!「よ〜しよしこれにしよう!うっしっし」と小さなブルガーサラダと一緒に購入。(バナナは食べていたのでそんなにお腹は減っていません)3ユーロほどだったでしょうか、「いま節約した分お昼ご飯は贅沢するぞ〜うっしっし」とうっきうきで電車に乗り込みました。平日だったこともあり車内は空いています。テーブルのあるボックス席も今は貸切。ドイツのスーパーで見かけども見かけども少しお高い気がしてしかもおいしくなかったらどうしようと謎の不安を抱えて購入を躊躇っていたFritz-kolaを〜出発と同時に〜飲むんだ〜いぇ〜い!!!(一人旅にテンション上がってます)

 

 

 ・・・え?栓抜きいるタイプのやつやん。

 

 どどどどうして?!とパニックになりましたが、サイズが違うと栓も変わるんでしょうね、ですがどうやら500mlのコーラと同じ栓だと思い込んで買ってしまった私のようです。完全に自分のミスです。

 

 どどどどうする?!とボックス席でワタワタするも近くに見える品の良さそうなおじさまは読書に没頭しているし、助けを求められそうな状況ではありません。(ていうかこれで助けを求めるのはちょっと恥ずかしい)

 

 落ち着け・・栓抜きがなくてもこのタイプの栓を開ける方法はゴマンとあるはずだ、ドイツ人はいとも簡単にこの栓を開け街中やトラムでビールを楽しんでいるし、友人のドイツ人が自慢げに開けるところなら何度もみたことがあるじゃないか・・だがここは車内、こぼしてはいけないし、中身がふきこぼれてもいけない、蓋がぶっとんでもいけないし、瓶が割れるなんてもってのほかだ、

 

 まずは検索、スプーンはないけど幸いサラダ用に買ったフォークがある。ただし木製。とりあえずスプーンで開ける方法を試すも木製のフォークは折れるし、てこの軸にする左手の親指は痛々しいほど真っ赤。だめだ、他の方法は・・ベルト、ない。割り箸とプルタブ、ない。コインなら!開かない。(左手の親指はゆでだこ状態、なんならちょっと腫れてない?大丈夫?)カラビナ、ない。ホッチキス、ない〜!!!なにもない、このまま諦めるしかないのか・・?すでに電車は出ているのにコーラのせいで景色を見る余裕もないし、サラダも開けれてないし、何よりせっかく冷えてたのにぬるくなっていくコーラ。悲しみ・・と上品そうなおじさんに何度か目を向けるもこちらに気づく気配まったくなし。そらそうよな・・と途方に暮れながらも検索を続けると

 

 「キッチンなどの固いところの縁に蓋をひっかけて上からトントンと叩く」

 

 との記載が。そんな トントン 程度で開いたら私のこの左手の親指がかわいそうすぎるわ・・でも試すだけ試してみるか、とボックス席のテーブルに蓋をひっかけて

 

 トントント・・カラッカララ・・

 

 え?あいてる。あいた・・とても綺麗に・・・あいたあああああーーーーーーー!!!!!!

 

 飛び跳ねるくらい嬉しかったです。一人旅はこういう時に分かち合える人がいないのが難点ですね、でもXがあったから乗り越えられました(笑)キーホルダーにつけるような小さい栓抜きいいなあと思っていましたが、これからは栓抜きなくてもトントン法で開けられそうです。そして肝心のFritz-kolaはけっこう普通にコーラでしたが、コカコーラより濃厚?なのに飲みやすい気がして私は好きでした!でも結局は炭酸飲料だし飲みすぎていいことはないよなーと思いつつ、次は砂糖なしのFritz-kolaを試してみたいと思うのです。

 

 まだリューベックにも辿り着いてないのにこの文字数、今日はとりあえずこのへんで。

 

 今日もドイツを楽しみました◎ 

 

私の人生の最後を飾るのはシンプルなアレ

 私は卵が好きです。どのくらい好きかというと卵ごはんなら毎日食べてもきっと毎朝美味しいと思えるくらい。この一文でもう私が人生で最後に食べたいものはお分かりかと思います。ほかほかの炊き立てごはんに生卵ぽとん、黄身に箸を突き刺して醤油をたらすと箸を伝った醤油が黄身と少し混ざりながら底まで流れていきます。思いっきりかきまぜてそのままかきこんでもいいですし、黄身と醤油とごはんの絶妙なコラボを楽しんでもいいですし、薬味を準備して味変したり好みの組み合わせを探すもよし。シンプル、なのに最強、そして無限。書いてて「卵ごはん食べたい〜!」と叫んでいます。

 

 ですが今ドイツにいるからこそ言いたいのは、「海外で生卵を食べるのは勇気がいる」ということです。「全然食えるぜ!」という猛者もいることとは思いますが、もう年とるとシンプルに病気したくないのです(笑)

 

 かつて若い頃に1人単身カンボジアに行き、3年ほど日本食レストランで働いていました。カンボジアで卵といえば市場で炎天下の中10×10の卵の入れ物が足元から腰まで積み重ねられ35度を超す(時には40度を超える)炎天下の中冷蔵庫にも入れられず太陽に晒されています。そんな卵を見た当初は衝撃で「絶対に生卵を食べることはないだろう」と思ったものですが、カンボジア歴も2年を過ぎると「卵を割る時に失敗しなければ生でも食えるだろう」という思考になります。慣れってコワイ。そして危険を冒してでも卵ごはんを食べたい精神状態でした(どんな状態?)

 

 そして試した結果、大丈夫だったのです。私は安堵し、何度かカンボジアで卵ごはんを楽しんだのです。その数年後、こうしてドイツにいるわけですが、ドイツのスーパーでは卵は6〜18個のパックに入り空調の調整されたスーパーに陳列されています。カンボジアよりも全然衛生的だと思うのですが、蓋を開けてみると羽がついていたり汚れていたり。日本で売られている綺麗な卵とはまた全然異なります。あれは消毒済みなんですね。

 

 それでもカンボジアで大丈夫だった経験もあるしとチャレンジしようとしたこともありますが、あの頃とは違い年齢を重ねて身体も体力も衰えているではありませんか。それを自覚している以上、人間は慎重にならざるを得ないようで…サルモネラについて検索をかけると衝撃の事実が。私はサルモネラ菌って殻についているものだから殻が中身に付着しなければ大丈夫だと思っていたのですが、どうやら飼育の段階で体内にサルモネラ菌を宿しているかどうかが生卵を食べられるかどうかにかかっているというのです。

 

 え??そんなこと管理できるの?逆に日本の生卵どうやって管理されてんの?家で鶏飼って産みたての卵食べてる人はどうしてんの?てか産みたてですら生では食べられないということ?ドイツ人も生肉は食うのに生卵は食べないの?と疑問の嵐で思考停止。とりあえずまだヨーロッパで生卵もとい大好物の卵ごはんを食べるという夢はまだ延期したままです。

 

 というわけで私が人生の最後に食べたいものは卵ごはん(できれば最後なので贅沢に薬味を選べるようにしたい)ですが、体調を崩したくはないので日本にいる時以外は大人しくしていようかな、と今は思っています。もちろん明日地球が滅びるよと言われれば、世界のどこにいても卵とごはんと醤油だけは準備したいです。日本人だなあ。

 

お題「人生で最後に食べたいものは?」

グリム童話「ブレーメンの音楽隊」旅の途中で見つけたのは

 ドイツ語を絶賛挫折中の私ですが、独学で自分なりにドイツ語に慣れようと思って子ども向けのおとぎ話Youtubeを見ています。ドイツでおとぎ話といえばグリム童話。その中でも「ブレーメンの音楽隊」は好きだったような気がして一番最初にドイツ語で書き写した物語です。

 

 どんな話か覚えていますか?確かロバが仲間を集めながら音楽隊になるためにブレーメンを目指して旅をする、という話だったと記憶していましたが、実は彼らはブレーメンには到着していませんでした、マジか(笑)でもブレーメンには音楽隊の像があるということで、会いに行きたい!と思い立ちブレーメンへ行くことに。

 

 現在ドイツではドイツチケットなるものがサブスクで買えるのです、月に50ユーロでドイツ国内の列車もバスも路面電車も乗り放題。ただし電車は鈍行のみです。日本でいう青春18きっぷに近いでしょうか。ゆっくりと進む車窓からドイツのただっぴろい景色を見るのが結構好きで、鈍行にも関わらず愛用しています。ICEという名の新幹線もありますが、遅延やキャンセルだらけでどうせ時間通りに辿り着けないし(笑)ちなみに日本でも京都から仙台まで青春18きっぷで旅をしたことがあります。18歳ではなかったですが…浜松で餃子を食べ、熱海で温泉に浸かり、海を眼下に電車で走り、始発の電車から日の出を見て仙台でずんだシェイクを4回もおかわりし、松島で日本の美しさを堪能しました。忘れられない思い出です。

 

 と見事に脱線しましたが、今回も鈍行で行くなら途中の気になる街にも寄ってみたい!ドイツの都市はあまり知らないけどブレーメンまでの乗り換え駅であるハノーファーはなんか聞いたことがある!と思っていたら電車の遅延でハノーファーでの予定の乗り換えができず、40分ほど空き時間ができました。散策で出会えたのはハノーファーの青空市場!ストリートにいくつもキッチンカータイプの屋台が出ています。チーズ屋さんにお肉屋さん、八百屋さんにナッツ屋さん、お魚屋さんにお惣菜屋さん、スープ屋さんにお花屋さんや石鹸屋さんとたくさん並んでいました。私が住んでいる街ではみたことない屋台もあって、なんだか得をした気分です。

 

 そうこうしていると時間が近づいてきたので「まだまだ散策したいけど諦めよう」と思い駅に到着しホームで電車を探しますが、案内板を見る限り私が乗るはずの電車の案内がありません。「なんで???」と1人パニックになりかけましたが、なんのことはない、私が検索する駅を間違えていたのです。次の電車は1時間後…「これもなにかのご縁だろう!」と今度は駅の反対側へ歩いてみることに。そういえばハノーファーで赤い線を辿ると観光名所に連れて行ってくれるという記事を以前に見たなあと思い出し、探してみることに。それしか情報がなかったので出だしの方向を間違えれば最悪出会えないだろうと期待せずにいましたが、数百メートルで出会えて感動!辿っていきます。

 

 その5分後、突如街という海の中に放り出されました。え、え〜!!知らない街だし急に心細っ…!!

 右を見ても左を見ても続きは見当たらないので、諦めつつ歩いているとまた現れてくれて安心。時々途切れてしまうのは致し方ないとして、どうしてあそこにだけ矢印なかったの…?とちょっぴり恨みたくなるくらいにはその後はちゃんと進む方向の矢印がありました(笑)私が逆走していたのかもしれません。

 

 

 この赤いラインがたくさん素敵な場所に連れて行ってくれましたが、その中で知ったのはハノーファーが広島市の姉妹都市であることです。エギディエン教会というところに鐘があるのですが、そこに日本人の方の名前が。そこで出会ったイラン人の方が教えてくれました。鐘は平和の鐘として広島市から寄贈されたそうで、8月6日には追悼式も開かれているそうです。空襲を受けて天井がなくなったそうですが、平和の象徴として大切に残してあるようです。戦争による悲しいニュースが飛び交う昨今、世界の平和を願わずにはいられない場所でした。

 

 そのほかに市庁舎や大小の教会、大きくて新しいレストラン街があるかと思えばその向こうに古い門が残されていたり、緑や川など自然の中に巨大なカラフルアートが出てきたり、新しげなアパートの反対側には旧い街並みが残されていたり。

 

新旧が混在する、素敵な街でしたハノーファー。

 

 最終的に2時間くらい歩いていた気がします、電車も結局2本逃してしまいましたが、今思えば見えないなにかに導かれたのかもしれないと思うくらい、来て良かったなあ。

 

 ちなみにここから電車で1時間かけてブレーメンにはなんとか辿り着きましたが、お宿はまた別の街。疲れに疲れて目的のブレーメンには30分のみの滞在となってしまいました、予定外も甚だしいな。でも会いたかったブレーメンの音楽隊たちに会えてもうそれだけで満足。

 ちなみに音楽隊を目指していた年老いたロバとイヌとネコとニワトリは、道中で力を合わせて追い払った泥棒たちの家が素敵だったのでそこに住むことにしたようです。彼らの第二の人生の始まりがきっと童話になったんですね。ブレーメンに行ったらぜひ会いに行ってみてください。ロバの足に触れて願い事をするといいことがあるとか、ないとか。

 

 

クリスマス以降のドイツ冬の楽しみ方

 ドイツでは12月のクリスマスが終わると賑やかだったクリスマスマーケットも1日で解体されてしまいます。そうすると次のイベントはお正月ですが、大晦日に花火を上げたり友人達とパーティをしたら、祝日の元旦はゆっくりして2日からは通常営業と日本のお正月とは違い日常に戻るのが早い印象です。その分クリスマス前〜1月2日まで1〜2週間ほど休暇を取る人も多いので十分といえば十分かもしれませんが。

 

 お正月も終わってしまうとみんなが恐れる冬が来ます。楽しいことなんてなにもないんじゃないかと思ってしまってましたが、1月半ば頃にスケートリンクが登場しました!他の都市でも見たのでこの時期になるとスケートリンクが登場するのがスタンダードなのかしら?クリスマスの時期に出しているところもあるようですが。

 楽しんでいるのは子どもたちや学生のようですが、もちろん大人も楽しんでいますし、屋台も少々出るので保護者はグリューワインを飲んだりビールを飲んだりしているようです。

 

 そして一緒に観覧車も出ていました!クリスマスマーケットの時に出ていた観覧車は壁や覆いはなく座って安全ベルトをつけたらいってらっしゃーいのややこぢんまりタイプでしたが、それとはまた違い、なんだか大きくて乗るところも全体が覆われていて頑丈そうです。というか日本でよくある観覧車の小ぶりバージョン(ただしけっこう隙間がある)という感じです。

 日本の観覧車は非常に大きいですがどこか安定感はあるイメージなのですが、この日は風が強いせいもあり揺れる揺れる。友人と一緒に乗りましたが「こ、こわ〜!」とついつい踏ん張ってしまいました。1周だけかと思いきや計3周楽しませてくれて(こぢんまりだからでしょうか)2周目以降は余裕顔で楽しめました(笑)

 

 お天気も良くて景色は美しかったけど、窓が汚れていたので「窓が綺麗だったら最高なのに〜」と思ってしまいました。ドイツでちょこちょこ残念なのは高いビルや電車や観覧車もそうでしたが窓がけっこう汚れていたりすることです。でも汚れじゃなくて傷のことも多いのかもしれないと解体現場がオープンになっているのを見た時にふと思ったのです。高いところから解体したであろうでっかいコンクリートやバケツとか不要なものを豪快に落としてましたから、風が強かったりすると細かい石とか砂は流れるんじゃないのかな〜日本はこういうの覆われてるイメージですけどね。

 

 ドイツに旅行に行った時にスケートに挑戦したことがありますが、それも数年前なのでまたこちらにいる間に滑りたいな〜と思っています。