友人におそらくモンステラであろう観葉植物の赤ちゃんをもらった。この時期は4日に1回くらいの水やりだから育てるのも簡単だよと言われて。
家の中に植物がある生活にずっと憧れてはいた。特別な理由がなくても花を買っていいんだよとドイツで一番最初にできた友達に言われた時、はっとしたしきゅんとした。だから時々花を買うことがあるけれど、水に挿して大事にしていても1週間ほど経つとどうしても枯れてしまう。もちろん切られている時点で死は避けられないのはわかっているんだけど、というか育てたとしても花だからいつか枯れるんだけど、なんというか育てることや状態をキープすること、生きること生かすことへの憧れみたいなものがあった。
でも私には植物を愛でる才はあっても育てる才はこれほどもないのだ。今までにサボテンは2度以上枯らしているし、サボテンすら生かせられないならやはりその資格はないんだろうと思っている。でもモンステラをくれた彼女の部屋には観葉植物がわんさかあって、そのほとんどが育てるのはそんなに大変じゃないよと言う。そしてそれらのほぼ全ては買ったんじゃなくて繁殖させたんだと聞いて羨ましく思ったしかっこいいなと思ったし、彼女にもらった葉っぱなら強く育ってくれるんじゃないかと思ったし、大事にしたいと思ったからもらったんだけど。
どうにもやっぱりもらった時よりも元気がなく見える。
あげすぎてはダメだと聞いたので土が乾いたなと思ったときだけ4日に1回くらいの水やりにしているし、ChatGPTに聞いたり自分で調べたりして日当たりのいい温かい場所に置いているつもりだし、ほぼ毎日話しかけて愛でているし時々葉っぱを拭いて綺麗にしているんだけど・・開いたら葉っぱになりそうなぎゅるんとした部分はぎゅるんのままだし、綺麗な緑だった2番めの葉っぱは先が黄色くなっているし、1番上の葉っぱは縁が乾燥しているみたいだ。
まったく分からん、原因が。
冬になったら2週間に1度程度の水やりの方がいいらしい、とか寒さに弱いから室温は5度以下にしない、とか「思った以上に繊細じゃねーか植物とは」と思ってしまうのは事実だけど新しい葉っぱが見たいしなにより生きていてほしい。
私にはまだ子どもはいなくて、子どもを持つ親が子どもの愚痴を言ったり怒鳴りつけたりするのを見てなんでだろうと思うことは多々あったけれど、つまりこうやって植物を育てる心理と当たらずも遠からずなんだろう。健やかに育ってほしいという揺るがない土台はありつつも、自分のコンディションや感情・性格とかモロモロ次第で「手間がかかる」とか「メンドクセーな」という感情はどうにもならないものなのだ、きっと。
・・まあこんなこと言いながらもタイトルで「草」と呼んじゃってる時点でなんかそういういろんなセンスみたいなものは皆無なのかもしれないけど。
ちなみに日本では公の場で子どもに大きな声を出してしまったり、家で怒鳴り散らしている声が聞こえたりすることがしょっちゅうあったが、ここドイツでそのような光景を目や耳にすることは非常に稀な気がする。もちろん時々いる。でも大抵は欧米の人種ではないことがほとんどな印象だ。駄々をこねる子どもにはよく出会うので、子どもの違いではなく親の違いなのだろうと思うけれど、一体なんのちがいなんだろうか。
とこうして書いていて、自分の思うようにとか感情ベースで書いていると本当に自分の中では繋がっているつもりなのに客観的にみたら恐ろしいほど話題がいろんなところに飛んでいるなと驚く。
会社で勤めていた頃SNS担当者として投稿し、各方面の方々からお褒めの言葉をいただいていた頃の自分やその文章はどこにいったのだろうか。文章は短くまとめるのも難しいが、長く書くのも難しい。自分が言葉にするのは嫌いではないけれど、すればするほどプロの人間が描く文章の高尚さを感じるし、はてなブログを書いている他の方々の文章の素晴らしさに脱帽するばかりだ。
今日からドイツも11月なので心機一転と思っていたが、結局1日家で過ごすことになりそうな私にまたちょこっと落ち込むけれど、洗濯も掃除もお弁当作りもしたので合格点◎
自分にやさしく、人にもやさしく。
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なんて下書きを1ヶ月以上前にしていたことに驚く。なんとな〜くフェードアウトしてしまうのは私の悪いクセというか無意識なのが本当に悲しい。根っからのなまけものなのだ、自分は。
なまけものなのは重々承知なのでドイツ語コースに通っている。そういうと大抵の人は褒めてくれるのだが、コースに行っていないと勉強しないのだから仕方ない。できることならお金を払わずモチベーションアゲアゲで独学でテストとか受けたい。
以前に通っていたコースと学校は同じなんだけれど先生も場所も違う。そして嬉しいことに休憩時間にコーヒータイムがあるのだ。だからありがたくいただいているのだけれど、自分の好みのコーヒーとは違うので久しぶりに自分好みのコーヒーを家で飲むと「好みのものを飲むって大事だな・・」と気づく。私はコーヒーが好きだけれど、好きなのは目を覚ますのが目的だったり誰かと歓談をすることが目的だったり、何かの二の次としてのコーヒーではなくて。
豆を挽くところから始めてお湯を注ぎながら豆が膨らむ様に宇宙を感じたり、ポタポタ落ちる音を聴いて心を落ち着かせたり、コーヒーが沸くゴボゴボという音に耳を澄ませてワクワクしたり、香りをかいでテンションが上がったり、飲んだ時に鼻を抜けていく香りに心を澄ませたりするのが好きなんだな〜。
ちなみに草ぴっぴはぎゅるんとした葉っぱはそのままに新しい葉っぱが出てきて、なんだかうまく行っているみたいなのでよくわからないけど静観しようと思っている。